古橋 廣之進(ふるはし ひろのしん)は日本大学進学後に水泳を再開しました。 1947年の日本選手権では400m自由形を4分38秒4で優勝し、公式記録にはならなかったものの当時の世界記録を上回るタイムを出しました。
同年9月の学生選手権の 400m自由形では自己記録を更新する4分33秒0、800m自由形では9分41秒0を出し、これも世界記録を越えました。
しかし、これらの記録は日本が国際水泳連盟から除名されていたため、世界記録としては公認されなかったものの、国民的な関心を集めました。
古橋廣之進記念 浜松市総合水泳場"ToBiO"
当時の世相を記した書籍には「敗戦でうちひしがれた国民に自信と希望を与えた」として、スポーツを越えた話題として扱う記述が少なからず見られます。
1949年に日本の国際水泳連盟復帰が認められ、古橋ら6選手が全米選手権に招待されて参加し、400m自由形4分33秒3、800m自由形9分33秒5、1500m自由形18分19秒0で世界新記録を樹立し、アメリカの新聞では「フジヤマのトビウオ」(The Flying Fish of Fujiyama)と呼ばれました。
湯川 秀樹(ゆかわ ひでき、明治40年(1907年)1月23日 - 昭和56年(1981年)9月8日)博士は、日本の理論物理学者。中間子理論の提唱などで原子核・素粒子物理学の発展に大きな功績を挙げ、1949年(昭和24年)日本人として初めてのノーベル賞を受賞しました。京都大学・大阪大学名誉教授。京都市名誉市民。1943年(昭和18年)文化勲章。従二位勲一等。理学博士。
京都大学基礎物理学研究所(湯川記念館)前にある湯川秀樹胸像
湯川 秀樹博士は、1934年、中間子理論構想を発表、1935年、「素粒子の相互作用について」を発表、中間子(現在のπ中間子)の存在を予言しました。
この研究が評価され、1940年に学士院恩賜賞を受賞、1943年には最年少で文化勲章受章。
さらに、1947年にセシル・パウエル等が実際にπ中間子を発見したことで1949年にノーベル物理学賞を受賞しました。
これは日本人として初めてのノーベル賞受賞であり、このニュースは敗戦・占領下で自信を失っていた日本国民に大きな力を与えました。
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