満州国(満洲国、まんしゅうこく、英: Manchukuo、 )は、 1932年から1945年の間、満州(南満洲:現在の中国東北部)に存在した、 事実上日本の傀儡政権とされている国家です。。
満州国は、大日本帝国(朝鮮領土)および中華民国、ソビエト連邦、 モンゴル人民共和国、蒙古自治邦政府と国境を接していました。
満州事変で関東軍は、わずか5ヶ月の間に 満州全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めました
1932年(昭和7年)2月初め頃には、関東軍は満洲全土をほぼ占領し、 3月1日、満洲国の建国が宣言されました。
国家元首にあたる「執政」には、清朝の廃帝愛親覚羅溥儀が就きました。
国務総理には鄭孝胥が就き、 首都は新京(現在の長春)、元号は大同とされました。
これらの発表は、東北行政委員会委員長張景恵の公館において行われ、 3月9日には、溥儀の執政就任式が新京で行なわれました。
同年3月12日、犬養毅内閣は、 「満蒙は中国本土から分離独立した政権の統治支配地域であり、 逐次、国家としての実質が備わるよう誘導する」 と閣議決定しました。
満洲国の初代内閣
日本政府は、関東軍の独断行動に引きずられる結果となったのです。
同年5月に五・一五事件が起き、政府の満洲国承認に 慎重であった犬養毅 首相は、反乱部隊の一人に暗殺されました。
1932年(昭和7年)6月14日、衆議院本会議において、 満洲国承認決議案が全会一致で可決され、 9月15日には、大日本帝国(斎藤実内閣)と満洲国の間で日満議定書が 締結され、日本の既得権益の承認と、関東軍の駐留が認められました。
満洲国は公式には五族協和の王道楽土を理念とし、アメリカ合衆国をモデルとして建設され、アジアでの多民族共生の実験国家であるとされていました。 五族協和とは、満蒙漢日朝の五民族が協力し、平和な国造りを行うこと、 王道楽土とは、西洋の「覇道」に対し、アジアの理想的な政治体制を 「王道」とし、満洲国皇帝を中心に理想国家を建設することを意味しています。
満洲国を承認していた国
自由インド仮政府、汪兆銘政権、蒙古聯合自治政府は丸印
満洲にはこの五族以外にも、ロシア革命後に共産主義政権を嫌いソビエトから逃れてきた白系ロシア人等も居住していました。
その中でも特に、ボリシェヴィキとの戦争に敗れて亡ぼされた 緑ウクライナのウクライナ人勢力と満洲国は接触を図っており、戦前には、 日満宇の三国同盟で反ソ戦争を開始する計画を協議していました。
しかし、1937年にはウクライナ人組織にかわってロシア人のファシスト組織 を支援する方針に変更し、ロシア人組織と対立のあるウクライナ人組織とは 断交しました。
第二次世界大戦中に再びウクライナ人組織と手を結ぼうとしましたが、 太平洋方面での苦戦もあり、極東での反ソ武力抗争は実現しませんでした。
満洲国は建国の経緯もあって 日本の計画的支援のもと、きわめて短期間で発展しました。
内戦の続く中国からの漢人や、新しい環境を求める朝鮮人などの移民があり、とりわけ日本政府の政策に従って満洲国内に用意された農地に入植する 日本内地人などの移民は大変多かったのです。
これらの移民によって満洲国の人口も急激な勢いで増加して、 移民政策の成功は豊かな資源を持つ満洲国が日本帝国にとっての 『フロンティア』であったことを示しています。
皇宮として建てられた同徳殿
なお日本にとっての植民地民族である朝鮮人・台湾人と 満洲国土着の満洲人・漢人は共に大和民族(日本内地人)より劣位に 置かれたましたが、日本の支配に服した年数の長い朝鮮人・台湾人が (内地人の地位を脅かさない限りに留まるものの) 『第二日本人』として後者に比してやや優越する地位を与えられていました。
これは満洲で人口的に圧倒的な漢人・満人を朝鮮人・台湾人に牽制させ、 両者が協力して日本の支配に対抗することを防ぐ狙いもあえいました。
そして実際に少なからぬ台湾人・朝鮮人が中級官僚・軍人などの 中間管理層として、満洲に配属されました。 (日本国籍を離脱し初代外交部総長に親任された謝介石を始め、 新京市長にまでなった台湾人も存在しました。)
ユダヤ人自治州
日本政府はユダヤ教徒によるユダヤ人自治州を企図しており、 明らかにユダヤ人を必要としないナチス党率いるドイツ政府に対し、 その受け入れを打診していました(河豚計画)。
それは一種の亜流シオニズムとも言えますが、満洲国にユダヤ人自治州が できれば、アメリカ財界の中核をなすユダヤ人の巨額な支援が 得られる事を狙ったものだという向きが強いのです。
同じ様な施策・構想として、ソビエト政府のユダヤ自治州、 ドイツ政府が検討していたマダガスカル強制移住構想がありますが、 既に戦時中であった日独両国については計画を遂行する余裕は無く、 少数のユダヤ人が満洲国に移住しただけでした。
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