学徒出陣(がくとしゅつじん)とは、 第二次世界大戦末期の1943年(昭和18年)に兵力不足を補うため、 高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系 (および農学部農業経済学科などの一部の理系学部の)学生を 在学途中で徴兵し出征させたことです。
出陣学徒壮行会(1943年(昭和18年)10月21日)
マキンタラワの戦いでしられるタラワは赤道直下のキリバス共和国 タラワ環礁のタラワ島は、日本軍の玉砕が始まったと言われた土地です。
大東亜会議(だいとうあかいぎ)は、昭和18年(1943年) 11月5日~11月6日に東京で行われた首脳会議です
当時の日本(大日本帝国)の影響下にあったアジア諸国の 国政最高責任者を招請して行われました。
そこでは、大東亜共栄圏の 綱領ともいうべき大東亜共同宣言が採択されました。
大東亜会議に参加した各国首脳(帝国議事堂前にて記念撮影)。
左からバー・モウ、張景恵、汪兆銘、東條英機、ワンワイタヤーコーン、ホセ・ラウレル、スバス・チャンドラ・ボース
ノルマンディー上陸作戦(ノルマンディーじょうりくさくせん)とは、 第二次世界大戦中の1944年6月6日に行われたオーバーロード(大君主) 作戦を指します(Operation Overlord)。
「血のオマハ」1944年6月6日
ナチス・ドイツによって占領された西ヨーロッパへの侵攻作戦。 最終的に、300万人近い兵員がドーバー海峡を渡ってフランス ・コタンタン半島のノルマンディーに上陸しました。
史上最大の上陸作戦であり、作戦から60年が過ぎた現在まで これを超える規模の上陸作戦は行われていません。
ノルマンディー上陸作戦の作戦計画図(1944年6月6日)
本作戦は夜間の落下傘部隊の降下から始まり、続いて上陸予定地への 空襲と艦砲射撃、早朝からの上陸用舟艇による敵前上陸が行われました。
上陸作戦に続くノルマンディー地方の 制圧にはドイツ軍の必死の抵抗により二ヶ月以上要したのです。
戦闘後の揚陸(オマハ・ビーチ)
ノルマンディー上陸作戦は、今日まで 第二次世界大戦中の最もよく知られる戦いの一つとして数えられます。
「D-DAY」は作戦決行日を表し、現在では、 作戦開始当日の1944年6月6日を意味する用語として使われています。
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