大西洋会談において、英国首相のウィンストン・チャーチルと、 アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトによって 大西洋憲章(たいせいようけんしょう、Atlantic Charter)を、 1941年8月に調印されました。
ニューファンドランド島沖の戦艦、プリンス・オブ・ウェールズ上で 調印された大西洋憲章は、太平洋戦争開戦前で合衆国はまだ 参戦していなかったのですが、大西洋憲章は戦後の世界構想を述べたものです。
イギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズとアメリカの駆逐艦マクダガル
大西洋憲章は、八項目からなり、その内容は要約すると以下になります。
1. 合衆国と英国の領土拡大意図の否定
2. 領土変更における関係国の人民の意思の尊重
3. 政府形態を選択する人民の権利
4. 自由貿易の拡大
5. 経済協力の発展
6. 恐怖と欠乏からの自由の必要性
7. 航海の自由の必要性
8. 一般的安全保障のための仕組みの必要性
憲章の第3条については、ルーズヴェルトと チャーチルの間で見解の相違がありました。
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戦艦上のルーズヴェルトとチャーチル
ルーズヴェルトがこの条項が世界各地に適用されると考えたのに対し、 チャーチルはナチス・ドイツ占領下のヨーロッパに限定されると考えてました。
つまり、イギリスは アジア・アフリカの植民地にこの原則が適用されるのを拒んでいたのです。
真珠湾攻撃
真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき)は、日本時間1941年12月8日未明、 ハワイ時間12月7日)は、休日である日曜日を狙ってハワイオアフ島 真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、 日本海軍が行った航空攻撃です。
炎上するアメリカ海軍戦艦「アリゾナ」
当時の日本側呼称はハワイ海戦(布哇海戦)。 太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦の南方作戦の一環として 計画された作戦であり、マレー作戦に次いで開始された作戦です。
戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を喪失しました。
世界史的には、この攻撃によって第二次世界大戦はヨーロッパ・ 北アフリカのみならずアジア・太平洋を含む地球規模の戦争へと拡大しました。
マレー半島攻撃(マレー作戦)
マレー作戦(まれーさくせん, Battle of Malaya, 日本側作戦名「E作戦」)は、太平洋戦争(大東亜戦争)序盤における日本軍のイギリス領マレーおよびシンガポールへの進攻作戦です。
日本の対米英開戦後の最初の作戦です。
クアラルンプールに突入する日本軍部隊
1941年12月8日にマレー半島北端に奇襲上陸した日本軍は、 イギリス軍と戦闘を交えながら55日間で1,100キロを進撃し、 1942年1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入しました
これは世界の戦史上まれに見る快進撃でした。
作戦は大本営の期待を上回る成功を収め、 日本軍の南方作戦は順調なスタートを切ったのです。
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