ベルリン五輪~日独伊防共協定調印~盧溝橋事件~西安事件


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ベルリン五輪~日独伊防共協定調印~盧溝橋事件~西安事件

ドイツの政権を奪取し、同国の国民からの支持を背景に当時隆盛を 誇っていたアドルフ・ヒトラー総統は、当初オリンピックを 「ユダヤ人の祭典」であるとして開催に難色を示しましたが、 側近から大きなプロパガンダ効果が期待できるとの説得を受けて、 1936年ベルリン五輪(オリンピック)開催することに同意しました。



画像引用;フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より ベルリン五輪(オリンピック)

ベルリン五輪(オリンピック)

その後、日本は、日独伊防共協定調印を行ないました。 これは、1937年11月,日本,ドイツ,イタリア3国が ローマで調印した協定でして、その前身は1936年11月の 日独防共協定で、対コミンテルンの対抗措置を定め、 秘密付属協定でソ連を仮想敵国としたのです

さて、中国に話を戻しますとベルリン五輪の年の 1936年12月12日に西安事件(せいあんじけん 又は、西安事変 -じへん) がおきました。 これは、西安で起きた、張学良・楊虎城らによる蒋介石監禁事件です。

西安事変

張学良と蒋介石

8項目の要求を突きつけたれた国民政府は、当初、張学良を討伐するために西安に対し爆撃を開始し、事態は緊迫したものとなりしたが、共産党の周恩来、秦邦憲、葉剣英が西安に入り、国民政府側の蒋介石、宋子文、宋美齢との間に前8項目に関する合意ができて蒋介石は解放されました。

その翌年には、 1937年7月7日に盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)が起きました。

盧溝橋事件

盧溝橋の国民革命軍部隊

盧溝橋事件は、北京西南方向の盧溝橋で起きた日本軍と 中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件です。 中国では一般的に七七事変と呼ばれ、 盧溝橋事件は日中戦争の直接の導火線となりました。

このように次第に中国大陸の戦火は広がっていったのでした。。


記事引用;

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の記事に加筆修正しました。

画像引用; フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

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