満州農業移民~日中戦争


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満州農業移民~日中戦争

満州農業移民~日中戦争

満洲国の成立以降、日本政府は国内における貧困農村の集落住民や 都市部の農業就業希望者を中心に、「満蒙開拓移民団」と称する 移民組織を大々的に募集し多数の日本人を満洲に送りました。



満洲国内の綿農家

画像引用;フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

この政策は、世界恐慌や凶作で経済が疲弊した日本国内から 消費人口を減らす、いわば国家レベルでの「口減らし」という 側面をもつ一方、徐々に世界から孤立し戦時体制へと歩んでいく日本へ の食料供給基地として、この開拓団に満洲を農地とし て開拓させることも意図していました。

「外国」の満洲へ移住した開拓団員たちも、開拓移民団という 日本人コミュニティの中で生活していたことに加え、渡満後も みな日本国籍のままであった ため、「自分たちは住む土地が変わっても日本人」という意識が強く、 現地の住民たちと交流することはあっても「満洲国人」として同化することはまずありませんでした。

また満蒙開拓移民団の入植地の確保にあたっては、まず匪情悪化を理由に既存の農村を「無人地帯」に指定し、地元農民を新たに設定した 「集団部落」へ強制移住させるとともに、政府がこれらの無人地帯を安価で 強制的に買い上げて、日本人開拓移民を入植させることが行われました。

地元農民は自らの耕作地を取り上げられる 強制移住に抵抗したため、関東軍が出動することもありました。

「集団部落」は、反日組織との接触を 断つ為に、地元住民を囲い込む形で建設されました。

このため地元住人たちの中には、日本人開拓移民団を自分たちの 生活基盤を奪った存在としてあからさまに敵視する者が少なからずおり、 開拓移民団員との対立やトラブルに発展するケースもしばしば存在し、 抗日ゲリラの拡大につながりました。

これらは、後のソ連参戦時に 開拓移民団員が現地人たちに襲撃される伏線となってゆくのです。

日中戦争(支那事変)

日中戦争(支那事変)(1941年12月12日より大東亜戦争の一部となる)

建国まもない満州の安定を図ることを目的として北支駐衛権確保のため 満洲と中国の国境に軍隊を移駐、1933年5月、日華の間で 塘沽停戦協定が結ばれ華北に非武装地帯が設けられました。

しかし、盧溝橋事件を発端に、大日本帝国と中国大陸の大部分を 支配下においていた中華民国が、中国全土で存亡をかけた 本格的な戦争の日中戦争が勃発したのです。

日中戦争は、1937年(昭和12年)から1945年(昭和20年)は、 日本での公式の呼称は支那事変でありましたが、現在の日本では 一般的に「日中戦争」(にっちゅうせんそう)の名で知られています。

また当時は日華事変とも呼ばれ、現在の中華民国や中華人民共和国での 呼称は中国抗日戦争もしくは八年抗戦。

英語ではSecond Sino-Japanese War(第二次中日戦争)です。

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記事引用;

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の記事に加筆修正しました。

画像引用; フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


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